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幕間:三十度目の巡りの泡沫

からん ころん からん ころん

続き
乾いた木が石畳に接して奏でる音は柔らかく、革靴の硬質な音よりもずっと耳に心地よい。
白木のソレを飾る鼻緒は千歳茶、その上でひらりと遊ぶ単は遠目には鉄紺一色で柄はない。
しかして近寄れば仄かに赤を帯びた紫や鉄紺よりも淡い色が混じったウール地であることがわかるだろう。
単の上に桔梗鼠色を主とした矢絣の羽織を纏ったその人は、この巡り央国最終英雄で
ただ一人青年の姿を持つ双つ姿の翼人、本人である。
ただし、髪の色は常の黄緑ではなく深緑、琥珀色側の瞳は夜色に変わっており、何より
彼を象徴する背の白い翼は欠片も見当たらない。顔の造詣は変わらないが、ぱっと見で
彼が央国英雄の一人であると気付けるものはほぼ無いだろう。
流石に相対する陣営、しかもその代表格の一人であるという自覚は、適当気侭が性分の彼にもあったらしい。
魔法人形たる彼にとってこの程度の見目変更は朝飯前、どころか、目を瞑っていても出来る
『当たり前』の事であるし、何か問題が起きても対処できるという自信があるからこその
行動では有るのだけれど。
そもそもかの幼王から託された選抜部隊の皇国遠征のその帰りに一人部隊を外れて
攻め入った国の街中をそぞろ歩くという選択そのものがおかしいのだが、如何せんこの男、
この手の勝手な行動は割と常習犯である。

閑話休題。

一人機嫌良く早くも遅くも無い速度で奏でられていた足音の調子が外れ、かつりとそこで止まった。
一瞬どうするかと首が傾げられ、深緑の長い後ろ髪が動きに合わせてさらりと揺れる。

考え込む事一呼吸。

うん、と、一つ頷いた彼は、再びからりころりと音を立てながら、その暖簾を潜った。

+++

ところで青年、双つ姿の翼人には――いや、彼等『風月晶華』の面々には、毎度の巡りの終わり、
恒例となっている事が一つある。遠征にさほど力を入れなくなってよくなった頃合に、
懇意にしている銀髪の青年が巡りの始めの頃に漬けた梅酒を持って遊びに来るのがそれだ。
もう15回以上は繰り返している恒例行事、毎回両部隊で漬けられた梅酒だけではなく、
別の酒も出てくる――銀髪の彼が飲酒可能になるのが巡りの終わりの頃だけで、戦の終わりも
見えてきた頃合というのもあって、大体しっかり飲み会になるのだけれど。

ただし、この巡りではその恒例が覆りそうである。
いや、確実に覆る…という事に翼人が気がついたのは割と最近の事。
なぜなら今回、いつもの青年は青年ではなく少年で。明らかに飲酒が出来る年齢ではないのだ。
何かそういう波のある巡りだったのだろう、その青年以外にも、見た目や能力が常の巡りと
異なる者が多かった巡りである。

こりゃ今回は梅酒交換会は無いなぁ、そう思っていた翼人であるが。
ふと、もう一人、とても身近で親交ある相手も常と違う姿であることを思い出した。
それもかの青年とは逆の意味で。

それに気がついた時の彼のショックについて、彼の遣い魔である少年は溜息混じりに
その時の事をこう語ったという。

「あれほどの間抜け面は、かつての世界でサンドワーム亜種を見たとき以来ですね」

+++

そんなわけで、今回翼人が皇国をそぞろ歩いているのはこの機会を逃したら次に何時機を
得られるかわからない人と飲むための酒探し、であったりする。
当然ながら自家製梅酒は外せないし、飲みやすい果実酒も用意する予定だが、何となく、
皇国で造られている米が主原料のソレがいいな、と思ったのだ。
その人の姿が皇国の風と水に近しい雰囲気が有るから、というのもあるかもしれない。
皇国の風と水、そして緑といった土地柄を翼人自身が好むというのも少なからずある。

目と勘が囁くまま立ち寄ったその店で幾つか利き酒をさせてもらい、3つか4つ比べた所で、
ほう、と彼は息を吐いた。

その酒は水のように透き通り、口当たりは柔らか。
それでいて口に含んだ途端に広がる香りは瑞々しく芳醇で甘いが爽やか。
けれどけっして後に残らず、まさに水のようにさらりと、すっきりときれる。
酒を飲んでいるというよりも果実水を飲んでいるかのようだ。正真正銘酒だけど。

何となく彼女に似合いそうだとふわり笑みを浮かべる。
これなら酒を飲み慣れない相手でも、さほど苦手意識なく飲めるだろう。
量を飲ませる気は全く無いけれど、折角なら美味しい酒を飲んで欲しいし。

これが気に入った、と店の者に伝えつつ、頭の中では肴に何を作ろうか、なんて
気の早い算段をつけ始め――いやいやそれ以前にしなければならないことがあったな、と、
翼人は酒で少し浮ついた心を落ち着かせる。

理想は二人きりでの静かな飲み交わしだけれども、そのためには彼女の保護者達の許可が居るだろう。
あちらの保護者達と一緒でも勿論いいのだが、はてさて、その場合は静かに飲めるだろうか。

……そもそも彼女は飲んでも問題ないタイプかどうかを確認した方がいい気がしないでもないが、
かつての居候が飲酒してしまった時に生じた騒動には及ばないはずだ。きっと。多分。

とりあえず、折角なら此方の茶も買ってから帰ろう。
店員の見送りの声を背に受けつつ、彼は再びからりころりと足音を奏でた。

  • 2019/02/10
  • 創作モノ::幕間/AUC