記事一覧

幕間:相

意識を沈める。
深く、深く――――― 

眠りではない。意識的に内へ内へと潜る。
己が内側にある、冥府の闇に達する為に。

続き
果ての見えぬ深い闇。

認識すると同時、無限の黒に半ば溶け込むように、半ば抗うように
影を凝らせて創ったような漆黒の調度品が幾つか視界に現れる。
それら調度品の存在を認めれば、今度は漆黒以外の色が視界に現れた。
それは椅子に腰掛け、卓に上体を臥せる形で人と翼の形を為している。

いつもなら鏡面を隔てて広がる光景。
それを生に近い形で見ている。

本来ならここは最期の時まで辿り着いてはいけない場所。
躯ごとではない…意識だけとはいえ、互いに課した禁を犯している。
最も、ほんの少し前に…禁ではなかったが…忌避していた事をやったばかりだ。
禁忌などもはや存在しないに等しい―――最期の一線を越えなければ。


「…落ち着いたか?」

囁くレベルで声をかける。
臥せられていた上体がゆっくりと起き上がり、靄を払うようにゆるりと頭を振る。
そうして、声のした方――彼――を見て一瞬、驚きを顔に浮かべた。
が、其れも束の間。苦笑いを浮かべてため息と共に唇を開く。

「………もう……大丈夫。

 ―――ごめんね。躯、借りちゃって」
「気にすんな。
 俺はお前の分身なんだから、これ位の融通は利かせてやるよ」

分身として、彼女と繋がりある別個の存在としてでも問題はなかっただろう。
いや、最初はそのつもりだったのだ。
他の既知の人々にはそうしてきたように。
だが、たった一人に対してだけは、どう理屈をつけても出来なかった。

何故出来なかったのか…その理由は共に痛い程理解している。
そしてそれで良かったのだと確認するために、彼は敢えて禁を犯し
意識だけの存在――傍目には幽鬼のような――で彼女の目の前に立ったのだ。
こうして直接向き合うことで、常以上に波長が良く判る。
今回の件は良い意味で薬になったようだ、ということも。

「…うん……ありがと。助かった。

 …これで…本当に、思い残す事は何も無いわ…」

ほぅ、と、再びため息をついて呟く彼女の言葉に、彼は片眉を跳ね上げた。
手紙を届けるでもなく、躯を貸してやった事の意味を彼女が解っていないはずが無い。
これ以上借りるわけには行かないと思っているのなら、それは大きな間違いだ。
だったら最初から貸してなどいない。

「何言ってんだ。世界が閉じるまでまだ少しある。
 しょっちゅうってならお断りだが、度々だったら構わない。

 …残された時間を大事にしろ」

思わず強い口調で言うと、はぁ、と、三度目のため息。
先ほどのものとは違い、今度のは多分に呆れが混ざっている。

「…やぁね。分身に説教されるなんて。…椰子みたいな事を言う」
「阿呆。
 今の俺がどっちベースにしてんのか、忘れてんだろ」

呆れ口調に、更に呆れた口調を返す。
ああ、そうだったわね、忘れてたわ、と、笑った彼女の顔は
冥府に相応しくない程綺麗に晴れ渡っていた。

 


傷はもう、疼かない。

  • 2012/08/15
  • 創作モノ::幕間/KOC