side:銀紫
負った怪我は浅くは無かったが、深くも無かった。
続けようと思えば続けられた ―――けれど続ける、という選択肢を諦めた。
真っ直ぐに、射抜くように、鋭い視線と切っ先を向けたままの妹は
俺の出方を伺っていた。
妹がもし追撃を仕掛けてくるようだったら、俺も応戦したんだけれど。
このまま続けてもけして負けはしない、そういう自信も妹にはあったんだろう。
それでも、やる?
そう言外に問われて。
…ヨクトの言うとおり、本当に強くなった、成長したと思った。
見た目は全然変わらない。けど、心身共に、俺なんかより、ずっと。
勿論悔しい。そして、不思議なことに、同じ位嬉しい。
「…参った」
事前に想像していたよりも軽やかに、その言葉は口をついて出た。
聞こえていないわけがない。
でも少し眉を動かしただけで、油断無く構えたままなのは“残心”という奴だろうか。
かなり強く痛む肩を無理矢理動かして剣を収めた。
そこまで確認して、ようやく妹も切っ先を下ろす。
「ん。 …僕が勝ったんだから、もう兄様にアレコレ言わせないよ!」
僕を連れ戻そうとしても無駄だよ! 戻らないから!
短剣を収め、腰に手を当てて言い放つ妹に苦笑をする。
「ああ。言わない」
そう言ったら、今度はこっちが吃驚するぐらい目を丸くした。
……なんでそんな顔するんだよ。
「スィンが成長したように、シークもちょいとは成長してんのさ」
笑いながら割り込んできたヨクトは、そう言って妹の頭にぽん、と手を載せる。
「二人ともお疲れさん。中に入んな。一服と手当てするくらいの余裕はあるだろ」
「この位どうってこと」
「そのまま肩が使い物にならなくなっても知らないわよ?」
くすくすと笑い声を含んで、少し離れた所からダーシェさんが言う。
ちなみに、妹も彼女を見た瞬間叫んだらしい。
同じ反応をするのね、流石兄妹、と、彼女に笑われたのが随分昔のような気がする。
「ほぼ直撃だったものね。…ちゃんと身体を癒すことも、大事な修行よ」
お袋そっくりな顔で、お袋と同じことを言われては
否、とは言えるわけが無かった。
***
口に含んだ茶の味、というか、香りに吃驚する。
確かに茶……緑茶と呼ばれるものの味はする。けれどそれ以上に香ばしい何か。
炊き込みご飯の時にできる、オコゲのような。
淹れてくれたディド君に問えば、ゲンマイチャです、と彼は応えた。
「先日、スィン嬢のご友人が遊びに来られた際に持参下さったものです。
シーク殿には珍しかろうと思いまして」
「僕だけの友達じゃないよ、ディ君だってレオノーレさんと友達じゃない!」
一緒に一杯おしゃべりも冒険もしたじゃない!という抗議に、彼は笑みを返すだけに止めた。
ヨクトの命でディド君は妹の補佐をしていた、とさっき聞いた。
だからだろうか、俺より妹の扱いに長けている気がする。
そんなことを思いながらもう一度茶を啜る。うん、珍しい。けど美味しい。
湯呑みを持つ右腕の支点、先程怪我した肩はすっかり完治していた。
治してくれたのはヨクトではなくダーシェさん。
二人とも覚えておくと良いわ、と、闇に属する術で治してくれたのだ。
…勿論、俺も妹もあっけに取られるだけで、覚えるなんてとても無理だったけど。
あの術はきっとお袋も知ってる。帰ったら聞いてみようと心に誓いつつ。
―――それにしてもさっきから、いや、此処に来てからずっと気になることが一つ。
「…なぁ、何でスィンって呼ばれてるんだ?」
何時の間に打ち解けたのか、イディちゃんと仲良くお菓子を分け合っている妹に問う。
ぱちぱちと大きく瞬いて、それから妹はヨクトに視線を投げた。
視線を受け、ヨクトは黙って片方の眉を上げる。
他の面子はそもそも俺の問いに吃驚したようだ。
「…言われてみれば、そうよね。ファミリーネームもシーク君と違うわ」
「そりゃそうだろう。偽名だからな」
ちなみに、名づけたのは俺な。
至極あっさりと、なんでもないようにヨクトはそう言って茶を啜る。
「何でまた偽名なんか」
「だって。本名なんか使ったら、兄様、直ぐ僕を追っかけてきたでしょ。
だからオジサマに名前付けてもらったの」
…俺のせいかよ。
「もう真名でもいいはずなんだけどな。なんかもうスィンの方が馴染んじまったから」
「どっちで呼ばれても僕は僕だけどね!」
そう笑う妹に。
ブリアティルトで知り合った彼らに宜しく伝えてくれ、と言っていいものかと
少し悩んだのは此処だけの話。
