「く……、」
つぅ、と米神から汗が伝っていくのが良く見えた。
彼の眉間には皺が寄っており、何より纏う空気があまりにもピン、と張り詰めていて
誰がどうみても全神経を集中させていると答えるだろう。
話しかけて集中を乱すなんて以ての外だと。
「ああ、駄目よそんなに力んじゃ、」
そんな緊張感を完全に無視してかけられた声。
「っ、ぅ わぁっ!?」
「……言わんこっちゃ無い……」
声に反応したからなのか、それとも別原因か。
あっさりとバランスを崩して落下していく青年に、声をかけた女は何度目かの溜息をつく。
「ヒナちゃーん、アルト君が行くわ! 一風お願い!」
気を取り直した彼女が地上に向けて手を振りながら声を張り上げれば
小さく見える黒髪の人影が、やはり手を振り返すように動いて。
刹那、ぶわ!と、突然上昇気流が――自然ではありえないほどに強力な風が発生し
落下していく青年を受け止めたかと思うとぐんぐんその身体を上空へと押し上げてくる。
しかして同じく上空に居るはずの女にはその影響は無いらしく、
彼女は文字通り舞い上がって来た青年の腕を取ると、再度地上に向けて大きく手を振った。
2、3秒の間の後、さわり、という程度に上へと吹き上げる風が弱まる。
「ほら、羽を広げて、風を受けて。羽ばたくのはゆっくりで大丈夫…、そう。
……バランスは取れるようになってきたけれど、もう少し身体の力を抜いて
大気に上手く乗らないと。あれでは高度維持も難しいし、移動もできないわよ?」
「…………わかった、わかったからダーシェさん、
腕、離してくれないか……!!!」
真っ赤になってうろたえる青年に、女は自力でホバリング出来るようになったらね、と笑った。
「アルトさん大丈夫かなぁ…?」
澄み渡った青い空を見上げ、少女は呟いた。
彼女の視線の先には小さくも人にしては奇妙な形の影が二つ。
それがどちらも――所謂蝙蝠型と鳥型とで形状は異なるが――翼であることを彼女は知っている。
「んー…、あの様子じゃ一人で飛ぶのにはもう少し掛かるかな……
まだ翼の力だけで飛ぼうとしてるみたいだし」
むしろヒナ嬢が疲れてないか心配だ、と、少女の横に立つ青年は微笑んで
そうっと少女の髪を撫ぜる。
その手つきにほんのりと目を細めながら少女もまた微笑んだ。
「私は大丈夫だよ。頑張ってくれてるのは風の精霊達だもん」
先ほど上空の青年――アルトを元の高度まで押し上げた突風は彼女が起こしたもの。
その数はすでに両手ではないと数えられない数になっている。
頑張っているのは風の精霊だという少女の言葉に間違いはないが、それでも
彼女自身の魔力だって多少なりと使っているのは間違いない。
「そうか。…ま、もう少ししたら昼にしてちょいと休憩を入れような。
アルトもへばってそうだし」
少女の兄貴分を自称するこの青年――翼人が少女の疲労度を気にするのは自然な流れというものだ。
上空の青年については、ついで、というやつである。
そもそも飛行の特訓をしたいと言い出したのは彼なのだ、疲れるのは当たり前だろう。
女尊男卑? いいえただの兄馬鹿です。
翼人のその言葉に少女はぱぁっと華やかな笑みを浮かべた。
先ほどの笑みが桃ならば、今度はひまわりといったところか。
「うん! えへへ、翼人お兄さんのお弁当、楽しみ!」
「さて、極普通の弁当なんだが。ま、お気に召したら嬉しいね」
和やかに笑いあいながら二人はまた空を見上げる。
上空では丁度彼が付き添いから距離を取ったようで、二つの影が離れている。
今度は先程より上手く風に乗れているのか、今のところ落ちてくる気配は無さそうだ。
どうにか第一関門突破かな、という青年の呟きは、さらりと吹いた風に紛れて
誰の耳にも届かなかった。
