ことんと音がして、二人は顔を上げた。
「…主人は」
「大丈夫。落ち着いて寝てるわ。イディちゃんも」
二人の視線を集めたダーシェは、少し疲れを見せつつも微笑む。
普段の妖しさを湛えた笑みとは全然違う、柔らかで優しい笑み。
「そっちはどうなの?」
「大事無い。掠り傷だ」
「結果として、でしょう。ダーシェ殿が咄嗟に結界を張って下さらなければ
こんなものでは済まなかったですよ!」
Gieの腕に包帯を巻きながら、咆えるようにディドが訂正を入れる。
それに片方の眉だけを上げたGieの身体は確かに、既にある程度塞がっているとはいえ
手足といわず全身に大小様々な裂傷が幾つも幾つも走っていた。
怪我の原因は実に単純。
風の刃が飛び交い荒れ狂う中を突っ切ったからだ。
―――友を止めるために、時空間を超えた翼人が戻ってきたのは一刻ほど前の話。
転移したその部屋に再び現れた時、翼人の魔力は暴走を始めていた。
倒れこむ前に辛うじて両の腕輪を外し、放り投げるようにして
自分から引き離したのは『保護者』としての責任感だったのだろう。
引き離されたディドが瞬時に人型をとり、妹分を拾い上げた時にはもう
球形の竜巻…否、狂気の嵐とでも言うべきものがそこに出来上がっていた。
ダーシェとGieが駆けつけたのはその直後。
以前見せた暴走よりも遥かに激しいそれに、ダーシェもGieも凍りついた。
が、それも一瞬のこと。
Gieはちらとダーシェに視線を送ると嵐に向かって歩き出す。
え、という顔をしたダーシェも直ぐに我に返り、Gieが嵐に触れる直前
ギリギリのところで彼の周辺に結界を形成した。
それでも、その結界を突破して尚、無数の傷を付ける程に風の刃は強烈だった。
そのまま沈静化するまで中心に留まる事が難しいと判断した彼は
嵐の核である彼女を気絶させることで強制的に止めたのだ。
最も、気を失ったからと言って、即座に放たれた魔力が沈静化したわけではなかったが。
「あんなに暴走するなんて…制御してたんじゃなかったの?」
問いは、この場で唯一翼人に付いていったディドに対して。
Gieは何も言わなかったが視線をディドに戻した。
二人の視線を集め、
「…していらっしゃいましたよ。ただ…主人が…“あちら”の主人が
抑えたのは魔力ではなく、その根源となる“感情”の方でした」
溜息をつきながら、それでも手だけは止めずにディドは答える。
「増え続ける魔力を制御するより、その方が効率的なのは間違い有りませんでした。
最初は上手くいっていたんです。
これなら大丈夫だろうと僕も最初は安堵していました。 ……でも……」
その瞬間、“彼女”が爆発させた感情は右腕に居たディドにもはっきりとわかった。
鉄球で身体ごと吹っ飛ばされたような衝撃に襲われた、と言っても過言ではない。
悲しい
悔しい
寂しい
憤ろしい
空しい
そういった負の感情と、其れを発生させる要因となった負ではない感情と。
それらがごちゃ混ぜになって一気に“彼”の制御を振り切って、突き抜けた。
…よくもまぁ、あの場で暴走しなかったものだと、思い返しても青くなる。
感情に引きずられて増えた魔力量は尋常な量ではない、
それは戻ってきてから発生した嵐でわかる。
あの嵐は、“彼”も“彼女”も全力で押さえ込みに回ってあの威力だったのだ。
もしあの場で暴走していたら、多分、全員無事では済まなかった、と思う。
戻るまでギリギリ耐えられたのは、それだけ『彼女』を傷つけたくないと
無意識層で強く思っていたからではないかとディドは見ている。
加えて、自分が自分とイディとの魔力も巻き込まれないように押さえ込んだのも、
プラスに働いた……と、思いたい。
「…成程。まあ、どうやら目的は達したようだし、無事に戻ってきたし
とりあえずは良しとする…でいいのかしら?」
小さく溜息をついて、ダーシェはGieに視線を向ける。
それを横目でちらと見て、
「良くはあるまい。我侭を言うて手間を掛けさせた分、きっちり払って貰わねばな」
いつもの笑みを刷きながら、そう、彼は断言した。
+++
作業台の上に置かれていたのは、「あとはよろしく」というメモと、
親指の爪程のペンダントトップ、そしてメッセージカード。
「……何時創ったんだよ……」
行く前だってそんな余力なんて無かったはずなのに、と、『あちら』の行動に驚きながら
託された小さな品の子細をチェックする。
よろしく、と言われたからには此処から渡すまでは自分の仕事だろう。
―――使われている石、台座に用いた顔料には覚えがあった。
かつて注文を受けて創った品、その端材を材料としたのだろう。
台座の意匠にも見覚えがある。
端材だろうと、どんなに小さかろうと、厳選した素材そのものには違いなく
こうして手にすれば今まで手がけた注文品と大差ない感覚、
加えて彼女がやはり本気で取り掛かって作業しただろうことは間違いない。
このサイズになってしまったのは、材料調達の時間がなかったのと
作業時間も非常に限られていたからだろう。
けれど、多分、使った事のある素材を用いた理由は、それだけではない。
使われた素材や意匠の持つ“繋がり”を辿って、見えてくるのは。
「何つーか。……祈りには違いねぇけど。此処まで来るとある意味、」
随分と厄介な呪い(まじない)とも言えるね。
最後の言葉は声にせず。
苦笑しながら、添えられていたメッセージも小さく折りたたんで入れることを考慮しつつ、
丁度良いサイズの箱とリボンを探すことにした。

