溶け出したバターの香りが厨房と呼んで差し支えないくらい広いキッチンに充満する。
場合によってはこれだけでお腹が空きそうな、たまらなくいい匂い。
と、そこに今度はほんのりと苦味が混じったような香りが漂い、
火の近くで林檎を切っていた少年は少し慌てて包丁を置きいて一旦火を止め
木べらで浅めの鍋の中をゆっくりと丁寧に混ぜ合わせた。
「……やはり焦げやすいですね」
「そりゃ砂糖とバターだからなぁ。といって警戒しすぎてトロトロやってたんじゃ
なかなかカラメルにはならないし、ま、今のならギリギリセーフだろ」
少年の後ろに立ってひょいっと鍋の中をのぞいた青年は
寧ろ丁度良い位じゃないか、と笑った。
「林檎は切れたか?」
「もうちょっと」
「じゃあ先にそっち切っちまいな。そのくらいならこのまま余熱で置いてても大丈夫だ」
「はい」
木べらについた茶色を丁寧に鍋の縁で掻き落とし、少年は再度包丁を握る。
しゃく、しゃく、しゃくり。
バターの香りにふわりと林檎の甘くも爽やかな香りが混ざる。
このまま食べても充分に甘くて美味しい林檎だ。今朝一緒に買ってきた林檎を
部隊の皆で食べて年少組で最期の一切れが若干争奪戦になった位には美味しい。
それを敢えて火に入れてしまうというのは少し勿体無いかな、と、少年は思う。
少年に作り方を教えてくれている青年も、あまり火を通すのに向いた種じゃないと言っていた。
けれど火を入れたら入れたでまた違う美味しさがあるとも。
程なく、出来る限り均一の薄さにそろえて切られた林檎の小さな山が出来る。
色変わり防止の為に張っていたレモン水から上げてしっかり水気を切り
先ほどの鍋の中に慎重に、丁寧に、少しずつずれて重なるように、綺麗に並べていく。
ここでの並べ方で見栄えが決まると聞いては手は抜けない。
ぽかりと空いた中央にも、見栄えよく隙間なく林檎を埋めて、いいんじゃないか、という声に
形を崩さぬようそっとそっと再度鍋を火にかけた。
「…焦げませんか?」
「いんや。林檎から水分が出るから大丈夫。多少焦げてもさっき直ぐ止めたからな。
予想の範囲内で収まるさ。今のうちに土台の生地混ぜとけ、ミックス粉使っていいから」
「はい。ええと、あとは林檎に火が通ったら、一旦火から外して生地を流し込んで…
蒸しあがればいいんですよね?」
「おう。林檎は完全に火が通る前でいいぞ、生地加熱時間もあるからな。
出来上がったら後は少し冷ましてからひっくり返せばいいだけさ」
お手軽だろ? と笑う青年に、少年は苦笑を返す。
「折角ならちゃんとした作り方でやりたかったんですけど」
「それは後日自分で調べてやってくれ」
急な話だったんだから、直ぐに出来るものの方がいいだろう?
そう付け足した青年の言い分にも頷けるところは勿論あるのだが。
それにしたって、今回のものは自部隊で消費するものとはわけが違うのに。
「あのな…、ディドが作った菓子なんてウチでも割とレアなんだぞ?
手順が簡易だとか正統だとか、そんなことは些事ってもんさ」
「……まったく……」
やれやれと軽く首を横に振って、近くの戸棚から少年は粉の袋を取り出す。
――その頬がほんのりと色づいていたのは、火の近くにいたからだけではないだろう。
