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Memento vivere - VII

続き

どっぷりと沈む感覚。
水よりも粘度があるのに、さらりと流れていくような。
実際に物理的に潜っているわけではない。
あくまで意識だけを内へ内へと深く深く沈めるように潜っているだけ。 

眠りではない意識を沈めに沈めた先。
そこは己が内側にある“この世”ならざる領域―――


とん、と着地したような感触を覚えて、彼は閉じていた眼を開けた。
周囲は相も変らぬどこまでも果ての見えぬ深い黒。

それ認識すると同時、無限の黒に半ば溶け込むように、半ば抗うように
影を凝らせて創ったような漆黒の調度品が幾つか視界に現れる。
それら調度品の存在を認めれば、今度は漆黒以外の色が視界に現れた。

調度品の一つ、卓の上には一株だけ植わった『風煌翠華』の鉢植え、
更にその上にはほろりほろりと淡い光を零す『月籠』の初代。
そして、椅子に腰掛け、卓に上体を臥せる状態にある人と、その背の真っ白い翼。

「……よぉ。邪魔するぜ」

努めて静かに声をかければ、臥せられていた上体がゆっくりと起き上がり、靄を払うように
ゆるりと頭を振る。緩やかにうねる茶の髪が動作に従って少しだけ広がって、自重と共に
ぱさりとまた元の位置に落ち着く。
一連の動作を行ったその人物は、声のした方――彼――の方に顔を向けてゆっくりと目を開いた。

濃灰と深緑の眼差しが琥珀と深緑と交ざる。
見合うこと暫し。

「…ホントに来たの。久しぶりね」

ふっと眉尻を下げたのは相手の方。
ほんの少し呆れを滲ませた声音は柔らかく、表情は穏やかだ。
その表情と言葉に釣られて、彼もまた、少しだけ苦笑を混ぜて言葉を紡ぐ。

「そーだな、ブリアティルトに来てから鏡使うこと殆ど無かったし。

 …まぁだからこそ今宵は、と思ってさ」

それが当然とばかりに相手の正面にある椅子を引き、腰を落ち着ける。
何を話すかは決めているものの、いきなり本題を出すのは流石に躊躇われて、
彼は卓の一角を陣取る白い花をちょいちょいっと突く。
丁度真上に位置する月籠から零れた光が溜まっていたのか、何時もよりも煌きが多い。
光源の弱いランプだと言っても通用するくらいだ。

「でもまさか此処でこいつ見るとは思わなかった。…ここで咲かせたのか?」
「まさか。これはちょっと前に送られて来たのよ、彼の写し身――
 あちらはGieと名乗っているのだっけ? 彼から」
「マジか」

その回答に彼は純粋に驚いた。
花壇から一株引っこ抜いてた、とはダーシェから聞き及んでいたものの、結局
どういう目的だったのかは聞いていなかったし、聞こうとも思っていなかった故に。
精々が酒の肴にしたんだろ、位の認識だったのだ。
そんな事を考えていたなどと当人に知られたら、後でこってり絞られそうである。
主に全力の手合わせという名目での死合で。

「私も驚いたよ。彼から何か送られてくるなんて全っ然思ってなかったし

 …それだけ、一月前の君達の言動が心に残った、ってことじゃないかしら」

すぅっと細められた濃灰と深緑の眼。
化粧っ気の無い唇の端もまたやんわりと上げられる。
彼が此処に来たその理由を、彼女もまた解っているのだと知るに充分な動き。
敵わないな、と彼は先程より少しだけ強く苦笑して、姿勢を正す。
対面の彼女もまた笑みを消し真っ直ぐに彼を見た。

「………10年前の今日。
 アンタが『此処』に繋がる洞穴を『降った』こと

 それに、感謝を」

きっぱりと言い切って、彼は頭を下げる。
数拍の無音。
彼女は何も言わない。ただ、黙って彼の言葉の続きを待つ。
時計があれば10秒を数えた頃に青年は頭を上げ、先ほどと同じように真正面から彼女と見合う。

「いわば命日に、しかも本人に面と向かっていう事じゃねぇとは解ってる。
 けど『俺達』が『今』こうして存在してられんのは、アンタが10年前
 事実上の『死』を選んだからだ。 ―――感謝を捧げてもいいだろう?」

至極真面目に視線を逸らさぬまま言い切れば。
笑みと共に表情をも消していた彼女が、ふふ、と再び笑いを零す。

「…っとに。もう。全くね。本人に面と向かっていう事じゃないわね」

口元を隠して笑う彼女の利き手、その薬指に有る鈍色の銀と小さな紅が花の蓄えた光で瞬く。
まるで共に笑っているかのようだ。
一頻り笑った彼女は今度は笑みを湛えたまま、改めて姿勢を正した。

「礼を言うのは私の方。
 始まりは私の我侭で、私の代わりに異世界を旅してくれた君達は
 私の分身としてしか存在していなかったのに……、

 新しい出会いと、数々の新しい経験を経て、君達は私を『超えた』
 ――単なる私の分身なんて枠に収められなくなったわ」

彼の対面に座す彼女は一面の漆黒の世界に似合わぬ程華やかに、明るく笑って言葉を続ける。

「いい機会だからこのまま全部思ってること言わせて貰うよ?
 
 存在としてもそうだけれど、何より、私から見た君達の立ち位置がね、
 『私』だけれど『私』じゃなくなったの。
 言葉にするのは少し難しい…弟?妹?ううん、息子?娘?」
「………子供ってのはちょっと頂けないなぁ」

確かに俺等を『創った』のはアンタだが、と彼が困ったように言えば
そうね、子供って感じは流石に無いわと彼女はころころ笑う。

「じゃあ弟。時々妹ね。

 君達は自らについて『生命体じゃないから生きてない』とかつて言ったけれど
 そんな事は無いよ。君達は間違いなく『今』を『生きてる』

 終わらないものは無い…
 君達の存在も、どんな手段を講じても尽きる日は必ず来る。

 でも、どうか。
 最期の最期まで生きる事を、君達の人生をとことん楽しんで。

 ――生きて、ヨクト」

万感を篭めた言の葉だった。

いや、彼女から分かたれた、この身を為す術の核となっている魂が共鳴して共感したから、
そうだと解ったのかもしれない。
魂が震えるなんて、彼の戦場での有り方を肯定してくれた彼の人の言葉以来ではなかろうか。

「……っ、 ははは…」

思わず笑ってしまったのは不可抗力だろう。
言葉にならない思いを上を向いて零した溜息に、何とも言い難い笑みを顔に乗せ。

「……カライトに感謝だなぁ……、俺達が『俺達』に為ったのは
 確実にあいつが綽名を付けてくれたからだと、今心底思ったわ」

ぽつり、彼は零す。
『彼等』の想定と予想を超えた綽名であったことを、出会いから何年経った今も色褪せず憶えている。
彼がくれた綽名があったから、与えられたから、そこで彼等は『彼等』に為った。
『ヨクト』や『翼人』だけでは、きっと、為れなかっただろう。

「ああ、鶯色の鳥人の彼? …そうかもね。ほんと、色んなものを
 いろんな人からもらってるよね…。

 …ねぇ。私へ『弔い』と『感謝』を捧げるというのなら、折角の機会だし
 これまでの色々を直接ヨクトの口から聞いてみたいな?」

駄目?

言いながらどこからともなく見覚えのある果実酒の瓶を取り出して笑う彼女に、
彼もまたどこからとも無くグラスを二つ取り出して、今晩だけだ、ついでにそれ
黄泉戸喫にならないだろうな?と、冗談混じりに笑って応えた。


+++

Memento vivere
 ――生きることを、人生を楽しむことを忘れるな


貴女がそう望んでいたことを、きっと、どこかで感じていたんだろう。

だからこそ水無月の終わりに『彼』を弔って
だからこそ文月の終わりに『彼女』を弔って

『死』から始ったこの『生』
『今』を、改めて慈しみ、楽しもうじゃないか。

  • 2018/07/31
  • 創作モノ::幕間/AUC