ふっと不安を感じて、まどろみから目覚める。
イディを起こさないようにそっと寝台から抜け出し、リビングに向かえば
窓際に腰掛けて、じっと夜空を見上げる主人の姿。
明かりもつけず…新月の夜空から窓から入り込む僅かな星明りに照らされ闇に浮かぶ姿は
触れたら霧散しそうな位儚くて、声をかけるのが躊躇われる。
そんな僕の気配に気がついたのだろう、主人はこちらを見て
少し驚いたような顔をしてから笑みを浮かべた。
「どうした?」
「いえ…、主人の『揺れ』を感じたものですから」
誤魔化しても仕方ないので素直に応える。
返事を聞いた主人の笑みに苦いものが混じった。
「………寝てたからバレねぇと思ったのになぁ」
「こっち来た時に覚悟はしてたが…この日は…この夜だけは駄目だな。
眠ると嫌でもあの光景を夢に見そうで…さ」
しかも彼女が同じ日に同じ選択をしたから余計に、と。
何時に無く静かな声で語る言葉は、雪のように細かく柔らかく降るのに…重い。
主人の魂の一欠片にすら刻まれた深い傷跡。そこから痛みが滲み出ているのが判る。
僕自身、僕の―――僕の本体から引き継いだ光景がフラッシュバックする。
生気の抜け落ちた白。
それに対峙する主人―――の、魂の主たる方。
とめどなく零れる涙...
あんなに傷付いたその方を見るのはその時が初めてだった。
あの方が半身を得るより前からずっと、僕の本体は側に居たというのに。
過去に様々な事を幾つも幾つも経験してきていた筈のその方は、
その時だけはどうやっても立ち直れなかった。
親友、戦友をはじめとした数多の友人知人、兄弟の縁を結んだ人―――
そういう人達となら半身が無くても前を見れるのではないかと、
努力されていたのだが。
魂についた傷の深さをその方自身思い知らされた。
そして、僕の本体はそんな姿を見ているだけしか出来なかった……
でも、その傷はとうに塞がったと…主人には影響ないと思っていたのに。
事実この日はアチラの世界で何度か過ごしているのだから。
僕の疑問を見透かして、主人ははっきりと苦笑した。
「何で今になって、って顔してるな?
…俺も不思議だよ。ま…多分、時の流れが同じなのが原因だろう。
あとは…アイツが実際存在した世界だから、か。
…暁月のお陰でその残滓を見ることができちまったし…」
「…………」
そっと瞳を伏せる主人。その瞼裏に浮かぶ像は…きっと紅と銀。
それに白と黄緑も重ねているのだろう。
「魂の距離を縮める為とはいえ、こんな弊害があるとはなぁ…。
……ま、大丈夫だ。今の『俺』そのものの記憶じゃねぇんだし、
オリジナルはもう平穏を得てんだから…」
すっと目を開けて月のない夜空を一瞥すると窓際から立ち上がり、
突っ立ったままの僕の頭にぽんと手を乗せあやすように軽く僕の頭を撫でる。
「だぁら感傷に浸るのは今晩だけ。それ以上は振り回されたりしない。
ディドに心配かけちまうし、大体、浸ってる暇もねぇんだ。
―――保護対象も増えてるんだしな」
「…そうですね」
「ああ。
…さて、折角だからちと付き合え。二人で昔話でもしようぜ。
一人でぼーっとしてるより、そっちの方がずっといいわ」
「はい。あ、でも…二日酔いは困りますよ?」
「心配すんな。一杯ちびちびとやるだけだ」
元々酒にゃ強いの忘れたのか?
そう言う主人の笑顔は、何時の間にかいつものものに戻っていて。
イディの知らない…僕と主人しか知らない、沢山の昔話は尽きる事無く―――
…僕は初めて徹夜というものを経験した。
